大崎下島の御手洗と大長

御手洗の灯台

回の旅の目的の1つに新谷道太郎の実家を探し求めることでした。江戸末期に行われた四藩軍事同盟の密談が行われた場所です。薩摩の大久保、長州の木戸、土州の坂本龍馬、そして芸州の代表者が秘密に集まった場所です。三日三晩彼らは寝食を共にして議論をした場所です。その場所が御手洗にあるものと思い、地元の方に訪ねたのですが誰も知りませんでした。

諦めて、宿に着いた時、本徳寺参道と記した標識を宿の脇の道で偶然見つけました。新谷道太郎の実家は本徳寺、というお寺さんだった事を覚えていましたので、もしかしたらと思い、本徳寺にその日の夕方に行ってみました。しかし、それらしい形跡が全くありませんでしたので落胆し、宿に戻りました。

宿で、夕食を食べながらオレンジハウスの主人に上記話をしたところ全くしりませんでした。しかし、新谷という家なら本徳寺の100メートルほど先にありますよ、と教えてくれました。さらに、主人が、その新谷家を知っている友人に電話をして情報を得てくれました。

確かに、新谷家は、昔、本徳寺であった、しかし、新谷家は、その寺に関する権利を他の方に譲って、今ある新しい場所に本徳寺ができた、とのことでした。 現在、新谷家は新谷道場、呼ばれている、とのことでした。

これで探し求めていた新谷道太郎の実家の可能性が高くなりました。

さらに、この大長の周りは、今はみかん畑であるが、江戸時代までは桃の産地で有名であった事を教えてもらいました。

大久保、木戸、坂本は、密談のためにこの新谷家に集まりましたが、あくまでも名目は、桃の花見遊覧だった事とも一致することも分かったので、次の朝、散歩がてら新谷道場に行って見ました。

そして、その場所が、坂本、大久保、木戸らが三日三晩同じ部屋で語らった場所であると僕は確信しました。

この密談が終わった際、坂本は、新谷道太郎に『こんな密談をしたことがばれたら殺されるから60年間は誰にも言ってはいけない』と告げたそうです。当時60年後とういと誰も生きていませんから、永久に黙っていろ、ということですね。

しかし、新谷道太郎は、60年後も生きていたのです。92歳まで健在だった。昭和12年(?)まで生きていたです。奇跡です。そして、彼は約束通り60年間沈黙をし、60年後に日記に密談のことを記しているです。

その日記が広島の竹原市(?)で発見されて上記内容が明るみに出たんです。

その場所を知りたいと思っていたのですが、偶然見つける事ができたのは実に嬉しかったです。


オレンジハウスの主人もこのような歴史的出来事が近くであったことを知り喜んでいました。

旅の醍醐味です。