陸奥のみち

司馬遼太郎全集 第48巻に記載されています。

司馬さんは、八戸から久慈へ行くにあたり行きは久慈街道を、そして帰りにミナト街道(浜街道)をゆきながら話を展開しています。

久慈街道では、南部藩の成り立ちから話をはじめ、水穂文化と商人、そして武士との関わりを語り、日本としては珍しいロシア的農奴が八戸に生まれた背景を分析し、日本独自の思想家である安藤昌益が江戸中期に突然現れた不思議を分析しています。つまり1700年代に農本的共産主義を理想化した安藤昌益を生んだ土壌と風景を語っています。その分析の鋭さに引き込まれて読んでしまいました。

また、この久慈街道を高山彦九郎が旅をした際に残した日記を語る中で、安藤昌益の時代に尊王攘夷を全国に訴えながら歩き、九州の久留米で割腹自殺した話に触れ、その後、つまり何十年か後の吉田松陰などへの影響話を展開しています。

ミナト街道では、柳田国男が明治時代にこの道を歩いた話に触れながら、ここ久慈の人が南部藩として津軽を征服し、後の津軽藩を形成した経緯と、南部藩、久慈、そして津軽藩の人々との関わりに触れ、明治の廃藩置県における青森県の成り立ちを語る中で、現在の人々の心の風景を語っています。

僕は、まだこれらの道を散策したことがありませんが、幸い、司馬さんが八戸から青森空港への道をほぼ逆にドライブをしたことが何よりの旅の接点になっています。つまり野辺地湾から十和田市への道です。

いい作品ですね。