龍馬 、青雲篇

2005 角川書店
津本 陽

この作品は、龍馬17歳の夏から、父・八平が亡くなる21歳の冬までの四年間が描かれています。そこには、江戸での剣術修行、黒船騒動などに彩られた龍馬が書かれています。

司馬遼太郎の“竜馬がゆく”以来、久しぶりに坂本龍馬に関する小説を読んだことになります。竜馬がゆくを30年以上前に初めて読んでから少なくとも記憶にある回数で4回ほど通して読んだことになります。

初めて読んでから坂本龍馬に関する場所を訪れたり手紙を読んだり、司馬さんの出版されている全ての作品を読んだりしていると、司馬さんが言うように竜馬がゆくの竜馬は坂本龍馬ではなくて、司馬竜馬であることがよく分かるんですね。特に、竜馬がゆくの若いころの書き方が、司馬さんがエッセイなどに書いている自分自身を書いた文章とほとんど同じような表現を何度も使っているのが分かります。例えば、司馬さんはよく、煉瓦の一部がいつでも頭上に落ちて来て死ぬ覚悟を若い時から抱いている、とか、学生時代に大学の卒業記念に山歩きした時の自分の気持ちが、まさに竜馬がゆくに出てくるんです。ほとんど同じ文章なんです。それを読むと、司馬竜馬であることを痛感するですね。

また、いろいろと坂本龍馬の史実を勉強していくと、司馬竜馬は坂本龍馬とはだいぶ異なることが分かります。

本作品の龍馬の時期だけに限って例をあげると、司馬さんの作品には佐久間象山や、龍馬が如何に西洋大砲の習熟に専念してたことなどに全く触れていないのですが、佐久間象山の存在がこのころの龍馬と将来の龍馬にに大きく影響しているんですね。

佐久間象山を通して、同じ塾で学んでいた勝海舟などと知り合うです。それだけ考えても非常に大きな影響を与えているですね。決して、龍馬は勝海舟の自宅に勝海舟を暗殺になどは行ってないのです(笑) この話は、勝海舟が明治になって飲んだ席か何かで、いつもの法螺話を誰かが記録に残しておいたのを、司馬さんがそれを利用しただけなんです。

津本陽さんの作品は、この辺の事実をしっかりとつかんで本作品を書き上げています。司馬さんは、龍馬をより抽象化、そして昇華し、新しい竜馬像を作り上げ、面白い作品に仕上げているのに対して、津本さんは、事実を積み上げて可能な限り架空の出来事を入れずに小説を作りあげています。

どちらがいい作品か、というよりも、はじめて坂本龍馬を読む方には、感動してもらう為にも司馬さんの作品を勧めますね。そして、坂本龍馬に興味を持ち、さらに深く知りたくなったら、津本さんの作品をお勧めしたいと思いますね。それも自分でいろいろと調べてその後で読むことをお勧めしたい。

それにしても、津本さんの本作品では、浦賀に来た黒船を調べに、龍馬が佐久間象山と一緒に行った、というのは津山さんの創作だろうか?もし、事実だとしたら、歴史はドラマチックですね。また、象山の塾で龍馬が吉田松陰の姿を見たことになっています。歴史的には龍馬と吉田松陰が塾に居た時期が重なる部分があるのですが、本当に顔を合わせていたらと思うと、歴史の面白さに感動さえ覚えます。

次の、脱藩編を読むのが楽しみです。自分が30年間いろいろと調べた事を津山さんがどのように扱っているかを考えるだけでも楽しくなります。