叡山の諸道

司馬遼太郎全集〈56〉街道をゆく(5) にあります。

1999年8月に夕方の日吉大社そして穴太の石垣に囲まれた坂本の町並みを散策して以来、ご無沙汰しています。

また、比叡山を西から登ったのはさらに昔で母方の祖母と登って以来行った事がありません。 懐かしい思い出です。

やはり、司馬さんの本を読むと無性にまた行きたくなります。

1999年8月に訪れた時、空腹を感じた私は、鶴喜のそばやさんに入りましたが、残念なことに売り切れとのことで断られました。そこで近くの日吉そばで空腹を満たすことにしました。

司馬遼さんは、鶴喜そば屋さんの大きな駐車場に車を止めて、鶴喜そば屋さんに入るつもりで、その脇のそば屋さんに入ったらそこが日吉そば屋さんだった、と語っています。

なるほど、日吉そば屋さんの脇に大きな鶴喜そば屋さんの駐車場がありました。どちらのお店も、坂本に相応しい、こころ休まる構えをしたお店でした。

司馬さんは、比叡山に西から登った帰りに、東側に降りて鶴喜屋の奥の座敷で蕎麦を食べながらお酒を飲んで、今回の旅を終えているんですね。

今度こそ、鶴喜屋の蕎麦を食べたいと思います。

鶴喜屋さんの近くには最澄の誕生の地、と言われている場所があります。