嬉しい手紙

新谷道太郎

先日、とびしま海道をドライブした際に探し求めた四藩同盟の密議が行われた新谷道太郎の実家を訪れました。その時の日記は、 http://d.hatena.ne.jp/KeiichiKoyanagi/20100613 に記しました。


また、同時に、私のTravel Sketchにも記載していました。 http://www.keiichi.me/travel/MyTravelBlog/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC/2010/6/13_%E5%AE%89%E8%8A%B8%E7%81%98%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%81%B3%E6%B5%B7%E9%81%93%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%AA%E3%81%BF%E6%B5%B7%E9%81%93%E6%95%A3%E7%AD%96.html

上記Travel Sketchを新谷道太郎の関係者である新谷力、という方が見つけてくれたようです。
そして、お手紙と新谷道太郎の自叙伝を印刷したものを送っていただきました。

実に嬉しい事です。


本名と所属を書いてありますので、新谷力さんは、お手紙を東京の早稲田に送ってくれました。6月18日付けで送っていただいたようです。それが先ほど届きました。早稲田側で北九州にいる小柳を見つけてくれたようです(笑)


送っていただいた新谷道太郎の自叙伝を詳しくはこれから読みますが、四藩同盟密議の部分だけ読んだだけでも、僕にとっての新発見がいくつもあります。嬉しいですね。

慶応三年3月頃の桃の咲く頃に新谷道太郎の実家で密議を行ったことは上記の日記にも書きましたが、その半年後の11月3日に本格的な密議が同じ場所で行われています。そこでの参加者と何を議論したかが書かれているのですが、僕にとっては大発見(個人的にですが)が3つあります。

1つは、慶応3年11月14日に龍馬は暗殺されています。その直前まで御手洗に居た事になります。

2目は、この場所で、11月3日に坂本と後藤が到着しますが、前日に大村益次郎山県有朋ですでに到着しているですね。そしてこれらと一緒に飲みかつ議論を交わしているのです。大村益次郎坂本龍馬はまったく議論を交わした事がないと思っていたのですが、あるんですね。そして、山県有朋ともあっていたんですね。これは2重の驚きです。

3つ目は、この会合の数日後、京都の二条城で岩倉などの皇族、そして西郷、木戸、坂本、池田などで会議が行われているですね。その会議で、西郷から大阪の3万の幕府軍をこちらの数千の軍隊で勝てる。しかし、軍資金がさらに5万両必要である、との意見がが出されているです。その5万両の調達は、毛利 浅野からそれぞれ2万両、そして西本願寺から1万5千両を得ている。そして、この会合がさらに数日後に再会される事になって散会している。17時に本会議が散会し、坂本が三条河原町に戻った後、殺害されているんですね。

この日記は、後年書かれたものなので正確な日時などには間違いはあるかもしれませんが、しかし、当事者の一人が書いている日記であることは確かであり、当事者しか知らない事柄らしき会話も書かれ臨場感あふれた日記になっています。