阿波紀行

脇町

鳴門内海
吉野川
脇町


いつもは、司馬遼太郎の作品だけを手に散策をするのですが、今回は、学生時代からの友人T氏の案内の下、阿波紀行を楽しめたのは幸せでした。T氏は丸亀に単身赴任で来ていますが、高松が地元なので大変詳しく、私が今回行きたい場所をすでに熟知していたので大変助かりました。

丸亀から、まずは屋島へ。司馬遼太郎の阿波紀行は鳴門から始まりますが、40年前に行った屋島が懐かしく、今回、訪れました。生憎、霧で瀬戸内海は全く見えませんでしたが、懐かしさがこみ上げてきたのを覚えています。また、作品『義経』の屋島での風景を断片的に思い出しながらの散策を楽しみました。

屋島から、鳴門へ。鳴門スカイラインから眺める鳴門の内海が美しい。かつて、ここに居たある漁師が最初のテグスを考案したことを司馬遼太郎は書いています。そのテグスの技術が、ここ鳴門内海から全国へ広がったと思うと、その美しい風景がまた輝いて見えました。

鳴門から、潮明寺を経由して徳島市、そして吉野川へ。途中、T氏の案内で、徳島ラーメン自慢の王王軒で肉入りラーメンを食べました。吉野川は広大な気持ちのいい風景を作っていました。南北の山々を縫って走るその川が豊富な大地をもたらし、そして藍の産地を作り上げたことを考えると面白くもあります。そして、その藍の商人が作った脇町が、また、いい雰囲気を今に伝えているのは嬉しかったですね。倉敷や柳川のような観光用に作りこんだ雰囲気がまだ少ないだけに、私は心の安らぎを覚えた気がします。

脇町からさらに吉野川を上り、小歩危大歩危へ。私が、この地名を知ったのは、『竜馬がゆく』の作品が最初でした。竜馬が、江戸への旅、この道を歩く姿を司馬遼太郎が面白い表現で書いているのを覚えています。竜馬の人生観、今、思うと、それは司馬遼太郎の人生観が簡単に述べられているんですね。同じ文章が、司馬遼太郎の若いころの自分自身を述べた随筆にも出ているのを後年、僕は出会ったことがあります。

大歩危から祖谷渓谷のかずら橋へ。司馬遼太郎と須田画伯はこの橋を渡って阿波紀行を終えています。T氏と私も渡った後、祖谷温泉で旅の疲れを流した後、丸亀に帰りました。

T氏のお陰でとてもいい風景を見ることができました。