丸亀・多度津界隈

丸亀城

丸亀城
城下町
矢野道場と土肥氏宅


琴平に出かけた機会に大学時代からの友人T氏がいる丸亀市に泊まる。T氏が、丸亀市内を案内してくれたのは嬉しかった。しかも、私が興味を持っている事柄を予め調べてくれていたその親切さには頭が下がります。お陰で短い滞在期間でしたがいろいろな風景を感じ取ることができたのはありがたいことです。丸亀を訪れたのは今回が初めてでしたが、どうしても坂本龍馬が、脱藩する直前に丸亀藩に剣術詮議の名目で出かけ、その足で長州に武市半平太の密書を持って出かけたことが昔から気になっていました。

坂本龍馬は、丸亀城の西側の外堀に面した矢野道場に出かけています。なぜ、矢野道場なのか、という疑問がまずありました。それが、T氏が地元の方からいろいろと情報を得てくれていました。つまり、この矢野道場には、その前の年などに武市半平太に関わる人たちが何度か訪れていたのです。中岡慎太郎なども来ていたようです。つまり、矢野道場にはそのような人たちが集まる場所であった、ということですね。そして、その矢野道場の南側2軒隣に活動家の一人土肥氏が住んでいました。その土肥氏は、板垣退助が攻めてきた時に丸亀藩の牢獄に入れられていたのですが、板垣退助が牢から出してあげた、という話もある、ということから幕府側の立場の丸亀藩の中で矢野道場を中心とした反幕府の一つの動きがあったようです。そのような中での坂本龍馬丸亀藩経由の長州行きだったということです。坂本龍馬は、丸亀の隣にある多度津港から船で長州に行ったようです。萩で偶然、坂本龍馬は、薩摩から萩に来ていた田上藤七を交えて、今は松蔭神社内にあたる駐車場北西にあった宿で久坂玄瑞を交えて議論が行われたようです。まさに、薩長土連合への道に繋がる話ですね。