宮崎界隈

先日、田原坂を訪れ際に宮崎に行きたいと思い、都井岬から日南海岸を走り宮崎市に寄りお昼を食べました。

西郷軍が、田原坂で敗れた後、人吉を経由して宮崎に移動します。そこで一月ほど(?)過ごすわけですが、その際に、桐野利秋が今の宮崎県庁がある場所で軍資金を集めるために西郷札を乱発したりしていた頃、西郷さんは今の宮崎駅近くのある家で過ごしていたようです。西郷さんはそこを拠点に兎狩りを楽しんでいたようです。その二人の会話がこのころから極端になくなったとの話が残っていますが、その県庁の場所と宮崎駅との距離がどのくらいあるのかを体で知りたく、宮崎県庁の近くでランチを食べた後に、駅まで歩きました。ゆっくり歩いて20分くらいだったと思います。駅から車を停めてある県庁まではタクシで戻りました。そのタクシの年配の運転手さんに宮崎に居た頃の西郷さんの話を伺ったら、西郷さんが宮崎に居たことがあることだけは知っていましたので上記のような話をしてあげたら運転手さんは喜んでいました。 僕は相当物好きな人物と思われたようです(笑)

この宮崎も人吉から攻めて来る政府軍で危険になった為に西郷らは、北に移動します。今の延岡市に流れる北川を少し昇ったあたりに陣を構えることになります。

近い内、その延岡に行きたいと思っています。その延岡で西郷さんは初めて戦陣に出るのですが、結局は危険を感じて、可愛山から尾根伝いに高千穂へ、そしてそこから険しい山道を南に歩き霧島へ出て、今の鹿児島空港のある地域あたりから鹿児島市内にある城山に篭ることになります。



宮崎県庁


宮崎駅界隈


西郷らが宮崎市に居た頃、この飫肥城下町でも、西郷軍のための弾薬を製造していた、との記録がありました。この飫肥城下町は、日南海岸から少し山に入ったあたりにあります。豊臣秀吉が全国を統一するまでは薩摩の島津家の分家が城を構えていたようです。