西郷隆盛の宿

2年ほど前、佐多岬を初めてドライブした際に、西郷さんが大隅半島で猟を楽しんだ時に宿代わりによく利用していた家が根占に残っている、というので探した覚えがあります。その時は、見つからなかったのですが、今考えてみると見当違いな場所を探していたようです。

この宿は、雄川が錦江湾に流れる河口の近くにありました。二年前には見つかりませんでしたが、今回、たまたま入った雄川が錦江湾に流れる河口の近くにあるローソンで尋ねたのが正解でした。そのローソンの裏にありました。

私学校の学生たちが政府の弾薬庫を襲ったとの知らせを受けたのもこの家でした。この家を出た後、私学校に出向き、そのまま西南戦争に突入した、と言うことで普段の猟生活をした最後の家になります。


また、錦江湾の向かいには、指宿があります。その指宿から少し山に入ったところに鰻温泉があります。そこは、西郷さんが薩摩半島で猟を楽しんだ時によく利用した場所です。その指宿とこの根占の間は、錦江湾で最も狭まったところなんですね。今でも、フェリーが行交いしています。西郷さんもよく、船で移動しているので、多分、指宿側と根占側とを船で移動しながら薩摩半島大隅半島での猟を楽しんだのでと思うとまた楽しくもあります。



ガラス戸になっていますが、建物はそのままだそうです。


西郷さんが使った石風呂との説明をみた際に、これは嘘だと思ったのですが、本当のようです。薩摩では石風呂を使う習慣があたようです。沸かしたお湯を入れると冷めにくいので使っていたとの説明を、霧島ホテルでたまたま見かけました。ホテルにあった石風呂もほぼ同じような大きさでした。説明には、そお石風呂は、辺見が西郷軍への参加を霧島に呼びかけに来た際に、使った風呂との説明がありました。それにしても180センチもある肥満型の西郷さんには少し小さすぎるような気がします。


宿のすぐ近くが錦江湾です。


雄川河口付近