胡蝶の夢 その一

司馬遼太郎全集 第40巻

昔、この本に出会った時、何か物足りなく思ったことを思い出します。なぜ、司馬遼太郎は島倉伊之助(後の司馬凌海)を主人公の一人、しかも中心に置いたのかを不可思議に感じて読んだ記憶があります。異常なほど司馬遼太郎は伊之助に愛情を注いで書いているように思えるのです。

司馬遼太郎が技術屋として焦点をおいて書いている人物は、この伊之助の他に、村田蔵六大村益次郎)がいる程度かな、と思います。蔵六も伊之助と同じ蘭学者であり、どちらかというと二人とも人間付き合いの苦手な人物として描かれています。しかし、蔵六には明確な意思があるが、伊之助には人間失格のごとく描かれています。蔵六が今日あるのは木戸 孝允(桂小五郎)のお陰であるとすれば、伊之助があるのは松本良順のお陰である、という構成で描かれています。そして蔵六にイネがいるように、あり方はだいぶ異なりますが伊之助には佳代がいる。そんな対比を思い浮かべながら、司馬遼太郎が、人間の情念が絡み合ってできている世間を伊之助を通して描いている思えます。

そんなことを考えると、司馬さんが伊之助を中心に本作品を構築しようとする意図に強く引かれている自分がいるのを今回気付き始めています。胡蝶の夢 その二を読みたくなってしまいます。

この題名、釤胡蝶の夢”が荘子的哲学から出ていることを考えても、正に世間の中の自分が何か、夢の中の蝶のごとく掴みどころがなくなる思いがしないでもありません。