人吉界隈、西南戦争史跡

を楽しんでいます。

断片的に旅をしながら繋げていく楽しみを味わっています。

今年になって城山や南洲墓地を訪れたのをトリガに、根占の西郷さんの宿、霧島界隈、植木、玉名、田原坂、御船町、九州の山岳地帯を越える峠道、飫肥、人吉、球磨川、永国寺、宮崎市、和田越、北川界隈、西郷宿陣跡、可愛岳、高千穂界隈、などを回りました。

まだ、訪れたいところがあります。鰻温泉、馬見原から鹿児島に入る山岳地帯を越える峠道など、、、、。今年中には訪れてみたいと思っています。

下の写真は、人吉にある永国寺です。
鹿児島から熊本城へ向かう途中、西郷軍はここ人吉に一泊します。西郷さんは、永国寺に泊まり、翌日の朝、その寺の脇に流れる球磨川に船を浮かべ、色々な荷物と一緒に八代まで下って行きます。肥満した西郷さんはなるべく歩くことを避けて乗船しました。熊本界隈での数々の戦には、西郷さんはとうとう一度も戦場を見ることはなく、戦いに敗れてから、山岳地帯を抜けてこの人吉にある永国寺に戻り、約一ヵ月間陣をはります。しかし、ここでも西郷さんは、寺に籠り、戦況が怪しくなると夜半に宮崎へ逃げ去ることになります。

このお寺は、この西南戦争で全焼してしまいます。再建後、西郷従道などが、ここに集まり西郷隆盛の位牌を作り弔っているんですね。位牌が、鹿児島になく、ここにある、というのが何かを物語っているように僕には思えるのです。