球磨川散歩

北九州には筑後川遠賀川、熊本には球磨川が、宮崎に大淀川、そして延岡には五ヶ瀬川があり、その川の近辺に古代の人々の農耕などの営みが展開されてきたことを想像することは楽しいことです。今回、その球磨川の河口を見たく八千代市を訪れました。

先日、球磨川の源泉の1つである五家荘や五木村から人吉に抜けたとき、そこに流れる球磨川を見て八代市まで下ってみたいと思いました。今回は、その河口を見ただけで水俣方面のドライブを楽しみました。

球磨、熊本、熊襲、と‘クマ’がつく言葉が多く、どのような意味があるのかと疑問を抱いていた昔、司馬遼太郎の「肥薩のみち」でその意味が分かった時にうれしく思ったことがあります。

‘クマ’とは古代語なんですね。それに後に入ってきた漢字をあてただけなんです。クマとは、古代語で山襞(やまひだ)のことなんだそうです。その山襞で稲を育てていた人々を山襞の人、つまりクマの人、という意味で使っていたようです。まだ、灌漑技術が未熟であった頃、水が豊富な山襞に稲を育てていたために、人々は山襞に住んでいた訳ですね。大和に住む人々からみるとそのような人をクマの人、と呼んでいたようです。

その大和からクマに住む集団の族長を殺害に若い少年がやってきたことが日本書紀にありますが、史実でないにしても何かそのようなことがあったと思うのもまた楽しいですね。その殺された族長の名前がクマタケルなんです。そして殺された時に、そのタケル、という名をその少年にあげるのです。つまりその少年が‘ヤマトタケル日本武尊)’になったと書かれている、そのエピソードがちょっと面白いと感じたりしています。

そんな球磨川を近いうちに人吉までドライブしてみたいと思っています。