十津川街道

司馬遼太郎は、昭和52年に十津川街道を吉野から南下しています。その昭和52年(1977年)は、僕が社会人になった思い出の年でもあります。そして 2007年の12月、僕はようやくその十津川街道を司馬さんとは逆に熊野本宮大社から北に向かいました。昔から一度は走って観たいと思っていた街道を訪れることができました。

200キロほどの厳しい山間道は、まさに雲煙のかなたにある十津川村、天空の村を実感した旅でもありました。熊野本宮大社から十津川村はそれでも比較的整備された道が続きますが、十津川村から吉野への150キロほどの道は、人馬不通の所を彷彿させるものがありました。盛んに道を整備しているために多くのトラックが南下するなか、何度となく冷や汗をかくこともある数時間の山間ドライブは忘れる事のできない思い出にもなりました。

厳しい山襞に点在する人々が昔から狭い田畑を構築し共同体を築きながら兵の貯蔵地として存在し続けた背景を実感したくひたすら走り続けた記憶だけがあります。この大山鬼を越えて都に出て、その僻地を時の権力者に安堵してもらうために若い人々が何の恩賞も期待することもなく戦地に出向いた気持ちを感じたく走った思いでした。

そんな中、十津川村の村湯でその日の最初の客として迎えてくれた村湯の管理夫人(80歳くらいか)、源泉かけ流しで貯まったお湯に一生懸命ホースを伸ばし水道水を注いで冷やしてくれた姿が、張りのある動きと艶のある笑顔が印象的でもありました。

僕はいろいろな所をドライブしあまりに無用な高速道路が多いのを感じてきましたが、この十津川村までの道の整備には、国費をどんなにかけてもかけ過ぎることはないのではないかと思うほど、その必要性を感じました。



熊野本宮大社から十津川街道に入る。


漸く、十津川村に辿り着く。


十津川村に着き、食堂でコーヒーを飲み、近くの村湯を教わる。
入浴料は、村の大人150円、外部の人300円でした。


十津川村から吉野への途中にある谷瀬の吊橋