芸備の道

司馬遼太郎全集57 海道をゆく6にあります。

2005年の9月に司馬さんの”芸備の道”を片手に旅をして以来、読みました。

司馬さんは、広島駅を起点に原爆ドームを経由して、54号線を北に昇り、安芸高田市吉田町に二泊、三次市に一泊して芸備の道を散策しています。僕は、2005年の9月に北九州から山陽自動車道路を使って広島の原爆ドームへ向かいました。そこから54号線を北に向かいました。

54号線を北に昇って行くと、途中、“歴史街道54” の看板を散見します。54号線を走ると“桂”、“吉田”など聞き覚えのある名前が地名に出てきます。その吉田町にある小高い山に郡山城跡があります。

広島から北に向かう根の谷川江の川に沿って走るとやがて目の前が広がったところに安芸高田市があります。そこで最初に目に付くのが交差点の信号に書かれた“桂”です。さらに北に進むと、その盆地が細くなり始めたところに“吉田”があります。



毛利元就墓所



郡山から青光井山を望む



そして、丁度、北からの尼子軍を防ぐかのような“大手門のごとく立ち塞がる山”の上に郡山城跡があります。毛利元就はその郡山城で一生の大半を過ごし、中国地方を平定し、その山の中腹に眠っています。何処もかしこも苔染みた雰囲気はひっそりとして心を休めてくれる場所になっています。

郡山を後に、53号線をさらに北に進むと三次に出ます。

なるほど、江の川、馬洗川、西城川の3つの川の合流点になった霧の町を思い起こさせる風景が広がります。司馬さんが、“ みすき” = “水村” “すき”は古代朝鮮語で村からこの名前ができたのではないかと語っていますね。日本海を渡ってきた朝鮮の人々の一部が鉄の技術を持って、南の方向に川を昇り、この豊富な水を見つけたというようにちょっと不思議な景観でもあります。広島県にある3千の古墳の内、その2千がここにある、とうのは面白い。


三次の風景



また訪れたいドライブのコースでもあります。