三浦半島記

司馬遼太郎全集〈65〉街道をゆく 十四
にあります。

左が富士山、そして右が房総半島を望む写真です。

久しぶりに読みました。

私は、2000年12月の旅日記、 http://www.koyanagi-lab.net/koyanagi/pleasure/trip/index.html に以下の文章を記しています。それを読み返すのもまたいいですね。

三浦半島のほぼ中央にある小高い丘に建つビルに仕事の関係でたびたび出かける。このビルの東西の窓から、日本武士の発生と消滅を同時に眺めることができる。西の正面に富士山を、その下に相模湾を挟むように鎌倉と小田原が見える。東には房総半島と、眼下に浦賀水道、そして左手に武蔵野を望むことができる。司馬遼太郎は、三浦半島記で鎌倉幕府が何故出現したかを主題に歩いている。とにかく、この仕事場から窓の外を見ていると、時間が過ぎるのを忘れるほどに色々な思いが走馬灯の様に浮かんでくる。私の幼い頃の思い出が重なる時もある。小学校6年の夏、家族で出かけた三笠艦見学などは楽しい思い出の1つである。その時の思いが、“坂の上の雲”を更に面白くしてくれた。そんな記念艦三笠の近くに、阪本龍馬の妻であった“おりょう”の墓があるのもまた面白い。おりょうさんの妹の子孫は今でも、この横須賀中央に生活しているのだろうか。少なくても20数年ほど前までは住んで居たようである。(2000年12 月) 』



富士山を遠望する。


房総半島を望む。