下田界隈散歩

KeiichiKoyanagi2010-02-26

本当に久しぶりに下田を訪れました。

ゆっくり下田を散策できた、ということで考えると、今回が初めてです。


ペリーが上陸した浜から、了仙寺までの河に沿った道、今はペリーロードと呼ばれている小道を歩き、了仙寺を抜けて下田開国博物館に入りました。

この博物館に向かって右側にある駐車場に平滑の獄があり、自首した吉田松陰が10日間閉じ込められていた場所でもあります。博物館内にはその時の模様が作られていました。

その博物館から北東に行った柿崎に弁天島があります。


吉田松陰渡航計画を立てて、漁師の小舟を盗んで停泊するペリー艦隊に漕いでた場所があります。

渡航の企てに失敗した松陰らが自首した場所が、そこから北にある柿崎の名主宅だったようです。自首後に、平滑の獄に入れられた訳です。


下田の小さな漁村での一コマですが、この出来事が、萩の松下村塾などに繋がることを考えると、150年後に生きるものとして楽しい時間を過ごすことができます。ほんのささやかなでき出来事がほうぼうで起こり、それらが相互に関係して、新たな歴史が創生されていく1つの様を見れる立場は、人の興味をそそるものがあります。


時間があったので蓮台寺温泉のそばにある村山邸も訪れました。


保土ヶ谷で松陰は何度かペリー艦隊へ渡航を試みようとしたのを悉く失敗し、ペリー艦隊が下田港に集結する情報を得ると、さっそく下田に向かい、初めはその港町にある宿に泊まっています。


まだ、艦隊が集結するまでに時間があることから、皮膚病で悩んでいた松陰は、宿の亭主から得た情報、つまりそこの温泉が皮膚病に効果があるとの情報を下に、蓮台寺温泉に出かけます。

蓮台寺の横にある村湯に松陰は、夜、忍び込んで温泉に入っているところを、近所の村医者である村上氏に発見されます。

村湯であるから、村人以外は入浴できない、というようなことを告げたようです。また、医者である村山氏は、松陰の皮膚病の悩みを聞き、それでは、ということで村山邸に泊まり、自宅のお風呂で療養をしていたようです。6日間、村山邸の2階の部屋で過ごした松陰は、その部屋で、ペリー艦隊への手紙を佐久間象山から頂いた資料を下にオランダ語で書いたとのことです。

6日後、松陰は誰に告げることもなく、その村山邸を去っています。

勿論、行く先は下田の弁天島だったわけですね。

そんな話を下田で読んだり、聞いたりした楽しい旅でした。


右上の写真が、村山邸で松陰が実際に療養した温泉風呂です。

よく保存された村山邸に感激しました。