陸奥のみち

下北半島

司馬遼太郎は、奥州について語りながら旅をしています。その中で津軽衆と南部衆について歴史の観点からその違いを語っています。歴史を共有しない旧南部領であった八戸が明治政府の決定で青森県の一部になっているなどの話が展開されています。広大な旧南部領が今の岩手県から削られて青森県になった訳です。その経緯について佐賀県を対象として話が展開されています。あの小さな旧佐賀藩は、長崎県として吸収されることなく佐賀県として独立している事実との比較を述べています。私は、これまでに4回青森県を訪れていますが、まだ一度も旧南部領に訪れたことがありませんでした。 今回、短期間の滞在でしたが、自宅からのドライブ旅行の機会を利用して旧南部領に踏み入れたく青森市から左に陸奥湾を見ながら走りました。津軽領と南部領の藩境塚がある野辺地町を通り過ぎ、下北半島にある横浜町の手前まで行き着きましたが、残念な事にその先は時間がないために引き返しました。野辺地町からは、旧南部領を南に走り宿がある十和田湖近くの温湯温泉に向けて走りました。
                                小柳恵一