教育で”考えることを身に着けるとは?”

をチョッと考えさせられています。当たり前のことなのですが、11月24日の日記に書いたフィンランドの教育の話の記事にもその重要性を謳っていますし、誰でもそれは重要だと考えていると思います。

そんな中、昨日から読み始めたBrian Greene著,"The Fabric of The Cosmos"に彼が学生時代に学んだ物理学の話が出ています。内容は簡単な話なのですが、果たして我々は授業でそのような習い方をしたか(今の僕の立場ではそのような立場で教えているか)、という疑問を持ちました。参考に簡単に記します。

1.(距離)=(速度)×(時間)であることを教わった。
  小柳:これは誰でも教わりますね。

2.ニュートンは、この式が成り立つには、"空間"が何であるかを定義しない限り成り立たない、という疑問にたった。
  小柳:今の我々は、アイシュタインの一般相対性理論を知っていますから、この式は近似式でしかないことは誰でも分かっていますが。当時はそんな知識はありませんから、この式を見つめているといろいろな疑問がでてこなくてはいけない。しかし、私のような凡人は疑問を持たない訳です。そこで教師がヒントを投げてあげなくてはいけない。少なくともニュートンがこの式を見て、空間を定義しなくてはいけないと感じた事を話す力を持たなくてはいけない、と思うのですね。現にGreeneさんはそのように学校で教わっているのです。

3.ニュートンは"絶対空間"を定義することによって、上記式が成り立つ条件を示す訳ですね。

4.そして、百年以上の間、それが支持されていたが、Machがその矛盾を指摘します。矛盾を指摘するのですが、その当時の知識ではそれを物理的に説明するまでの能力が無い。

5.アイシュタインが、このMachの上記理論をヒントの1つにして今の一般性相対理論などを展開していきます。


1項の(距離)=(速度)×(時間)を教えるだけの授業と、この式を導いたニュートン自身が何を悩んでいたか、を話すことの重要性を強く感じるんですね。つまり、この式一つから量子論まで繋がってしまう。つまり、空間とは何であるか、という基本問題に繋がるわけです。学生が分かる分からないではなく、それを考えさせる機会を与えることの重要性を、ちょっと感じたので、ここに書きとめておきました。