アメリカ素描

司馬遼太郎全集 (53)
司馬 遼太郎 著
文芸春秋
1998年12月

1980年代に書かれたとは思えないほど新鮮な作品です。

司馬さんは、先ず西海岸を歩きます、そして一旦帰国後、次は東海岸の街々を歩きます。それに合わせ本作品は2部構成になっています。僕が、ある企業に勤めていた時代、特にその企業の国際部に所属したころ仕事でアメリカ各地(ハワイを除く全州)を訪れてはいろいろな企業と議論したりしていた頃に本書に出会ったことを思い出します。本書を読み自分なりの考えを整理するのにどんなに役に立ったかと思うと懐かしくもあります。本書はアメリカ文明論・文化論なんです。そして今回、久しぶりに本作品を読ませていただきました。実に新鮮な感じを受けました。

司馬さんは、坂の上の雲の作品を書き終え、まだ、その余韻が冷めていない頃にポーツマスを訪れています。その興奮がこの作品を通して読者に伝わってきます。あれほど周りから坂の上の雲の作品の続きを書くべきだとの忠告が多々あった頃に書いているのか、小村寿太郎を通して日露戦争後のロシアとの条約に関わる情景を述べるとともに、その条約の結果に対する日本国民の冷たさ、日本国民が群衆化し日露戦争に勝つことにより狂い始めたこと、そしてそれが日本国民への教育の現状を激変させ、その教育を受けた若者が育ち昭和の軍人などになり、日本全体があの太平洋戦争に突入していく模様を短いですが、力強い司馬さん流の明晰な分析が続きます。そこには司馬さんの当時の日本国民に対して抱いている悲しみが滲み出ています。

司馬さんがよくいわれたことに“僕はいろいろな事はあったが明治維新はいいことであったと評価しています。そしてそれから日露戦争が終わるまでは、とてもいい国でした。しかし、その後は、・・・”と、いうようなことを言っていますが、それが爆発したような文章がそこにはあります。

そして貿易センタービル内での友人との夕食で、ニューヨークの夕焼けを見ながら、イギリスから始まったビジネスについて語っています。そのビジネスに参加できた国々と出来なかった国々についてです。そしてなぜ日本が明治維新でそのビジネスに参加できたかの理由を江戸時代にあった先物取引や証券取引のようなものに話を展開します。今のシカゴを中心に発展したデリバティブは、大阪の先物取引をモデルにしたことは有名な話であり、この司馬さんの分析に納得し、そして現在、その英国・米国式ビジネスに参加できなかった国によりその貿易センタービルが破壊されたことを考えると、司馬さんがそこで巡らした思考に圧倒される思いがします。

そして、さらに司馬さんはウォール街を歩きます。そこで某日本企業の幹部との会談内容が書かれています。司馬さんは、その日本人が得意そうに話す内容に警告を発しています。その方がハーバードビジネススクールの講義内容を自慢げに話をするのを終えた後、“そんな危険なことを教えているのですか” と警告を発した後、米国型金融資本主義によりアメリカは将来潰れるだろうと、警告しているんですね。値打のないものに証券価値をつけてマネーゲームする米国型金融資本主義では先が無いことを本書は鋭く指摘していることに驚かされます。資本主義の本来の姿である、何らかの価値のあるモノを作り、それにより資本が出来上がる本来の資本主義を失いつつある米国型金融資本主義の問題点を自慢げに語る某幹部の話の中で指摘してます。

ただただ、本作品に感銘を受けている自分があります。
小柳惠一