北のまほろば

KeiichiKoyanagi2008-08-12








僕は旅のスケッチを約10年ほど前から“私のTravel Sketch”に残しています。
http://www.koyanagi-lab.org/koyanagi/pleasure/travel/index.html

青森県を中心とした“北のまほろば”もその一つです。
今回、2年ぶりに訪れました。

●1999年7月記
司馬遼太郎街道をゆく』全43巻の中で、このタイトルが一番気に入っています。そして、三内丸山遺跡を見てさらにそう思いました。司馬さんがこの巻をほぼ書き終えた頃、三内丸山遺跡の発見が報道されたのではないかと思います。

三内丸山遺跡

●2006年2月記
ようやく、冬に青森を訪れることができました。このような機会を作って下さった方々に感謝をしたいと思います。司馬遼太郎は“けかち”のことを語りながら、太宰治の“津軽”を片手に歩いています。太宰治の暗いイメージを持つ“津軽”と、司馬遼太郎津軽を“北のまほろば”と呼ぶ、その明るさとのギャップの面白さを感じながら、私は、大雪の中運転して頂いた車の中で空想を楽しむことができました。吉田松陰が訪れた部屋がある“養生学園”、250年以上も弘前城北門の前に建つ“石場住宅”、そして雪に埋もれた“弘前城”を散策することができことは幸せでした。さらに幸運だったのは、青森で一夜を過ごした“ランプの宿 青荷温泉”の暖かい温泉と、その温泉地への送迎車が来るまでに居た待合所で、偶然お会いした、今の日本を代表する津軽三味線演奏者である山上進さんが、我々4人に演奏してくれたことです。至福の瞬間であると同時に、津軽の優しさと奥深さを私の体、全体で感じた時でもありました。

岩木山青森市を上空から眺める

●2006年8月記
この夏、青森をドライブする機会を作りました。三度目の三内丸山遺跡を楽しんだ後、吉川英治が利用したという温湯温泉にある温川山荘に泊まりました。次の日、司馬遼太郎が夏に旅をしたコースになるべく沿ってドライブを楽しみました。青森市から津軽半島の外ケ浜にある蟹田義経伝説の残る三厩津軽半島北端の龍飛崎を訪れ、そこから小泊を経由で十三湖、そして五所川原を訪れました。私は、その後、弘前を経由して秋田県の角館へのドライブを楽しみました。日本の沿岸防御法に悩む吉田松陰が立った龍飛崎から津軽海峡を眺め、近年までソビエト原子力潜水艦が忍んでいたことをなどに思いをめぐらしながら美しい景色に感銘する自分がそこにいました。龍飛崎から十三湖への道もまたすばらしい。13世紀に栄え、今は忘れられた津軽安藤氏が築いた中世の貿易港である十三湊を偲ばせるものは、その十三湖の姿以外なにもない風景に思いをめぐらせることができたのは幸せな旅でした。

●今回の旅
宿、白神温泉ホテルから日本海に沿って北に走り、十二湖、千畳敷を通り、まずは五所川原にある太宰治の誕生の地である斜陽館を訪れました。今まで、何度か近くを通ったのですが、時間の関係で立ち寄ることが出来なかったのを今回実現できました。


奥に太宰治のねぶたが置いてありました。

斜陽館を後にして、ねぶた祭りの最後の当日、今年のねぶたを観たいと思い青森市に立ち寄りました。

2年前、皆さんと一緒に跳ねた事を懐かしく思い出しました。また、いつか跳ねたいものです。


青森市から弘前市へ移動し、以前冬に訪れたことがある石場住宅と弘前城に立ち寄りました。冬の季節とはまた違った雰囲気を味わったことになります。


石場住宅


弘前城

弘前市から白神温泉ホテルに戻る道が美しいかったのが印象的でした。走っても、走っても稲と森がどこまでもつづく景色が感動的でした。