南伊予・西土佐の道

KeiichiKoyanagi2008-09-21

馬遼太郎全集〈56〉街道をゆく(5)にあります。
  http://www.koyanagi-lab.org/koyanagi/pleasure/travel/index.html


何度か仕事で伊予の国を訪れていたころ伊予の国を表す1枚の写真を選ぶのに苦心しました。なかなか僕の思いに合う風景が定まりませんでした。伊予から眺める土佐からの脱藩街道が貫く山脈を、と思い最初の写真をとりました。また、その山々を越えながら撮った写真も考えてもみました。松山城から見える風景も美しい写真が撮れましたが、この街道に合った写真が撮れたとは思いませんでした。幕末の志士達の風景や、日露戦争の秋山兄弟、そして夏目漱石正岡子規について司馬さんが描いてくれた風景を表すことができる写真(私が勝手に思いこんでいるのですが)がどうしても一枚欲しいと思いながら、何度か仕事で出かけたおりに写真を撮りました。そんな1999年10月に、飛行機の窓から眺めた風景が私の心を捉えて離しませんでした。眼下に見える港から志士たちは長州へ、そして明治の人達は船に乗り江戸に向かった風景を思い浮かべながら何度かシャッターを連続できりました。

6年後の2005年5月に道後温泉を楽しんだ次の日、フェリーに乗船し松山から呉経由で広島に向かいました。広島から下関へ、昔の脱藩者が下関の白石正一郎宅へ向かうように私も西へ向かいました。

さらにその年の7月に小倉から松山行きのフェリーに乗り、21時55分小倉発、次の朝5時に松山港に到着しました。その足で、道後温泉へ。朝風呂を楽しみしたが、とても愉快でした。その後、長浜港に行きました。土佐から脱藩した若者達は険しい峠を越えた後 肘川に小舟を浮かべ大洲を抜けて河口にある長浜港で漁船に乗り換えて長州に向かいました。そんな長浜港と肘川の風景を長い間見たいと思っていました。長浜港に立つと遠く山口県が見えます。坂本龍馬は、沢村惣乃丞と共に長浜の冨屋金兵衛宅に一泊し、長浜港から船に乗り、長州の上関へ、そこで一泊し船にて三田尻に向かいました。龍馬は三田尻から陸路で下関にある白石正一郎宅に向かいました。しかし、本書で司馬さんは龍馬が宇和島城下で数日過ごしていた、と記しています。また、津本陽さんの作品龍馬では、龍馬が九州に直接行ったように記されています。まぁ、とにかく皆さん言い伝えなどをもとに想像して書いているので本当のところは正確にわからない、というのが本当のところかもしてませんね。

僕は、松山から長浜港、そこから肘川沿いに大洲市に、そして松野町へ 、そこから四万十川に沿って下り中村市に。四万十川が太平洋注ぐ河口を望みながら太平洋沿いに東に走り足摺岬へ行きました 。

司馬さんの本書を携えた旅は楽しかったことを思い出します。また、この街道を散策したいです。