白河・会津のみち

KeiichiKoyanagi2009-05-14

司馬遼太郎全集〈第62巻〉街道をゆく(11)
文藝春秋 1999年9月
にあります。

久しぶりに読みました。

2001年春に白河の関を、そして2002年夏に会津のみちの散策を楽しんだことを思い出しました。

白河の関、一度は訪れたいと思っていた場所でした。車で日帰りできる距離でしたが、2001年春までその機会がありませんでした。漸く、それが実現したことになります。“義経”の作品で、司馬遼太郎が描いた白河の関が僕のイメージとして出来上がってしまっていました。そこには、冬の景色が描かれています。義経がその関を通過する風景が鮮明に描かれ、その景色が美しく記憶に残っています。吉田松陰が、宮部鼎蔵ら3人でこの街道を北に向けて歩いたのも冬でした。“世に棲む日日”では、白河の関は描かれていません。その頃は、白河藩松平定信が、寛政12年8月に、ここが白河の関跡であることを確認して建立した碑を松陰は目に止めたかも知れません。あるいは碑が雪の下に埋もれていたかもしれない、などと想像しながら散策したことを思い出します。

会津のみちは、2008年夏に小学校の林間学校以来、久しぶりに訪れました。会津のみちで司馬さんが描く想いが熱い。それがひしひしと伝わる作品になっています。蒲生氏郷による会津城下町の成り立ちから松平容保までの戊申戦争による崩壊まで、さらに容保の死と容保が隠し続けた手紙の話が描かれています。いい作品です。



白河の関



会津



蒲生氏郷の墓



飯盛山  白虎隊



裏磐梯



大内宿