赤坂散歩

司馬遼太郎全集〈第62巻〉街道をゆく(11)
文藝春秋 1999年9月
にあります。

久しぶりに読みました。

司馬さんは、赤坂の丘の上にあるホテル・ニューオータニに泊まり、溜池を中心に赤坂の街を歩いています。

僕にとって生活空間の1部である赤坂を、司馬さんの“赤坂散歩”を案内人に2000年9月に歩いたことがあります。

 http://www.koyanagi-lab.org/koyanagi/pleasure/trip/index.html

普段とはまた違った目で半日の散策を楽しんだ記憶があります。そういえば、それ以来ゆっくりと赤坂を散歩していません。宴会などで何度か訪れただけのような気がします。また、のんびり歩いてみたいと思っています。

初めて、“赤坂”という響きを耳にした時を、僕は記憶しています。幼い頃のある晩、父が、親戚のところに遊びに行こう、と車で出かけた思い出があります。小料理屋さんだった、と記憶しています。

残念ながら、お店そのものは覚えていません。奥の部屋に案内され、着物姿の美しい女性二人が歓迎してくれました。晩で忙しいのか、一人の女性(母親か?)がお店と奥を何度も行き来していたような記憶があります。もう一人の女性(娘さんか?)が幼い僕を優しくかまってくれていました。その艶やかな着物姿が、僕の“赤坂”を今でも形作っています。

まだ、弟が生まれる前で、たぶん3−4歳頃の思い出です。その後、そこを訪れた記憶がありません。幻のような思い出が蘇る中、溜池への幾つかの坂を昇ったり降りたり楽しみました。赤坂の坂道を歩くのが好きです。江戸時代の道幅がそのまま残っている数少ない地域でもあります。道には、心を休めてくれる程好い道幅があるものだと思いながら歩いています。それぞれの坂に名前があるがのいいですね。


丘の上に、森々とした氷川神社があるものいい。

ここは、赤穂浪士で有名になった浅野内匠長矩の夫人の実家の中屋敷があった場所でもあります。浅野内匠長矩が切腹した後、夫人はこの中屋敷でその後の人生を送っています。夫人が生涯を閉じるとともに、その実家(浅野家三次藩分家)も跡取りがないことからお取りつぶしになりました。その空いた土地に、徳川吉宗氷川神社を建てています。その神社が、東京のど真ん中に別世界を作っているのがいいですね。



その氷川神社の脇に勝海舟の終焉の屋敷跡があり、今は、旧氷川小学校になっています。それらを散策しながら赤坂見附駅方面に向かい、清水谷公園などを楽しんだ記憶があります。