龍馬とおりょうの新婚旅行の軌跡を旅する

KeiichiKoyanagi2009-06-08

2000年8月に次男と一緒に九州縦断のドライブをした際、初めて龍馬とおりょうが登った御鉢山の中腹まで登った時に、この御鉢山から高千穂峰頂上までいつか登りたいと思っていたのが、今回実現できました。


2000年8月に次男と途中まで登った際の写真。
あまりの急な坂で次男は立ち往生でした。



2000年8月は快晴で、錦江湾に浮かぶ桜島開聞岳が遠望できました。

その御鉢山と高千穂峰登山の機会を使って、龍馬とおりょうが約一ヶ月間ほど楽しんだ旅の軌跡を一泊二日で辿ってみました。



古道は車で走れないところは、現代の道を走っています(汗)


慶応2年3月16日鹿児島市原良にあった小松帯刀の別荘に滞在していた龍馬とおりょうが、小松が霧島温泉に湯治に行く際に同行したのが、この司馬遼太郎がいうところの日本初めての新婚旅行のきっかけになっています。

前の浜(天保山)から帆船で船出をし、錦江湾の奥にある浜之市港から歩いています。


浜之市港

3月16日の昼日過ぎに浜之市港に着くと、港近くの富隈城跡の小高い丘に登り、霧島連山である御鉢山と高千穂峰を望んでいます。


龍馬は、おりょうに、高千穂峰を指しながら、天孫降臨の話と、その頂上にたっている逆鉾の説明をした、と伝わっています。



写真では、雲に隠れて高千穂峰が観えないのが残念です。

その日に、泊った日当温泉までの道中で、隼人塚と鹿児島神宮に立ち寄っています。


隼人塚



鹿児島神宮



日当温泉の近くにこんな標識がありました。


日当温泉は、西郷が好きな温泉地の一つでした。


日当温泉でゆっくり一夜を過ごした後、二人は、島津藩士がよく利用する古街道を歩いて霧島連山を挑んでいきました。

そして、途中、犬飼滝の上を通って、現在、和気神社がある高台に登っています。


その犬飼滝をとても気に入ったようで、乙女姉の手紙に、そこで遊んだ話がいろいろと書かれています。その滝が五十間の高さがあり、その滝の裏に高さ2メートルの20畳ほどの広さがあり、そこに立って滝の後ろから景色を眺めた時の素晴らしさを書き送っています。


その日は、二人が一か月間の滞在のほぼ半分を過ごした塩浸温泉に泊っています。

この温泉は、龍馬が寺田屋で受けた指の傷を癒すために選んだ場所でした。塩浸温泉は、刀傷に効く温泉である、と昔から言われていたようです。


二人が入った湯船が今もありますが、野ざらしになっています。
川の横にあったことがよくわかります。


ここで10日ほど鳥打や魚釣りなどをして楽しんだ後、硫黄谷にある薩摩館(現、霧島ホテル)まで歩き、そこで一泊しています。


そして、ここから、おりょうと約束していた高千穂登山へと向かいました。

3月29日快晴。道案内人と一緒に登山しました。頂上にたどり着く前に、なんども草鞋を穿き替えるなどして、御鉢山の坂登りに苦しんだようです。途中、何度もあきらめかけた、と手紙に書いて乙女姉に書き送っています。




御鉢山の頂上


御鉢山の火口にようやくたどり着いた二人は、その火口でゆっくり休んだ後、高千穂峰の坂を上り、その頂上にたどり着き天の逆鉾に対面しました。


写真の奥に遠望できるのが高千穂峰です。
これからそこを目指して登ります。

目の前に高千穂峰が聳えています。これをまっすぐ登ります。


そして、その逆鉾を二人で抜いた話を、乙女姉に書き送っています。

逆鉾の絵を手紙に書き、そこに描いた二つの顔にある尖がった鼻を二人でそれぞれが持ち、抜いた、と書かれています。抜いた鉾は4−5尺の長さがあったと書いています。抜いた後、同じ場所に収めたようです。




山を降りた二人は、夜、霧島神宮にたどり着きました。そして、その宮で一夜を過ごし、高千穂峰を右手に観ながら硫黄谷に薩摩館(現、霧島ホテル)に戻った後、塩浸温泉で過ごし、鹿児島市へ戻っています。


右手に御鉢山と高千穂峰が見えます。

これらの詳しい内容を書いた乙女姉への手紙は、塩浸温泉に戻った後、したためた様です。

龍馬とおりょうが二人で過ごした場所をほぼ二日で僕は軌跡をたどりましたが、実に楽しい一人旅でした。